今日のトピックス、「ベルリンの壁」「スーチー地方演説へ」「沖縄に原発?」「枯れ葉剤埋めた、沖縄の海」、など。

正しさは、人の数だけ。


スクラップを。


◆ ◆前世紀の遺産から◆ ◆

08月13日 23:07 朝日新聞
歴史と教訓、忘れぬ責任 ベルリンの壁建設から50年 
 http://www.asahi.com/international/update/0813/TKY201108130500.html

08月14日 12:06 ロイター
ベルリンの壁建設から50年の追悼式典、市長「正当化許さない」 
 http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-22697720110814

>ウォーウェライト市長は式典のあいさつで、ベルリンの壁やドイツ分断の歴史を懐古的にとらえ、ゆがめようとする者を許すことはできないとし、「今でさえ、ベルリンの壁建設を正当化しようとする者がいるが、人権侵害や殺害を正当化できる理由などない」と強調。ベルリンの壁は自由と民主主義の象徴となるべきだと語った。 (ロイター)

>当時、西ベルリンに住んでいた72歳の女性は、1989年に崩壊したベルリンの壁について、「壁が取り払われて、ベルリンがまた1つになれたことはもちろん喜ばしいこと。ただ残念なことに、心の中に見えない壁を作っている人たちがいまだにいる」と述べた。 (ロイター)

今の時点でアレを正当化する人がいるとは、信じられへん。



◆ ◆国境を越えて・ビルマ◆ ◆

08月14日 16:10 時事通信yahoo! 経由)
スー・チーさんが地方視察=ミャンマー 
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110814-00000032-jij-int

08月14日 18:29 朝日新聞
スー・チーさんが地方演説 軟禁解除後、ヤンゴン外で初 
 http://www.asahi.com/international/update/0814/TKY201108140153.html

ミャンマー民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんは14日、拠点の最大都市ヤンゴンを離れ、地方都市のバゴーを訪れた。スー・チーさんは7月にも地方旅行をしているが、政治活動としての訪問は昨年の自宅軟禁解除以来初めて。 (時事)
 
ミャンマービルマ)の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが14日、最大都市ヤンゴンから80キロ北のバゴーを日帰りで訪れ、自身が率いる国民民主連盟(NLD)による図書館開設の式典に参加した。ヤンゴン以外での政治活動は、昨年11月の軟禁解除後初めて。支持者ら約2千人が出迎えた。 (朝日)

スー・チーさんはこの日午前6時前、NLD幹部・職員らや報道陣と、乗用車約30台でヤンゴンを出発。AFP通信などによると、式典で約10分間、「国が発展するのは、みなが一緒に取り組んだときだけだ」などと団結を訴えたという。政権側の妨害はなかった。 (朝日)

ことが起きないかハラハラしながら。



◆ ◆ニッポンもんだい◆ ◆

08月14日 03:01 朝日新聞
沖縄に原発、米統治時に構想 実現せず 米公文書で判明 
 http://www.asahi.com/national/update/0814/OSK201108130275.html

暑くて考えがまとまらへんねんけども、吐き気がする。たぶん、暑さのせいやあらへん。

>米国統治下の1955年〜56年、沖縄での原子力発電所の建設案を米国民政府高官が提言し、下院議員の米議会への勧告に盛り込まれていたことが、朝日新聞が入手した米公文書からわかった。「原子力の平和利用」の象徴だった原発を沖縄に造り、米国の統治の正当性を内外にPRする効果を狙ったとみられるが、実現しなかった。 

朝日新聞が入手したのは、「沖縄の原子力発電所の建設」と題したモーア・米国民政府副長官が作った55年9月7日付の提言書で、上司のレムニッツァー民政長官にあてたもの。モーア氏は現地沖縄の実質的な統治総責任者で、レムニッツァー氏は日本本土や沖縄などを管轄する米極東軍の最高責任者を兼ね、東京駐在だった。 

>提言書でモーア氏は、沖縄に原発を造る意義に触れて、極東で初めての「原子力の平和利用」の実現となり、「政治的かつ精神的に好ましい確かな反応」や「精神的に巨大な利益」を生むだろうと主張。また、中東からの輸送費が原油価格よりも高い沖縄のような土地では「原発が最も競争力を持つ」と強調した。 


08月14日 10:10 琉球新報yahoo! 経由)
「枯れ葉剤 北谷に埋めた」 元米軍人証言 
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110814-00000005-ryu-oki

>在沖米軍基地の枯れ葉剤をめぐっては、60〜70年代に県内の広範囲にわたる施設で散布、貯蔵、運搬された影響で健康被害を受けたとして、100人以上の元軍人らが退役軍人省に因果関係の認定を求める申請をしていることが明らかになっているが、埋却に関する証言は初めて。 
 
>70年に泡瀬通信施設で勤務した際に枯れ葉剤との接触健康被害を受けたと訴え、沖縄の枯れ葉剤に関する情報を集めている元米空軍所属のジョー・シパラ氏(61)=米ノースカロライナ州=は13日、琉球新報の取材に、今回証言した元米軍人と今年7月に面会し「枯れ葉剤が埋められた場所はハンビー地域」だと地図を描いて説明されたと話した。 

>シパラ氏が得た証言によると元米軍人は69年、枯れ葉剤を含む物資を運ぶ米軍の貨物船が座礁した際に、船上から積み荷を降ろす作業に従事した。その際、枯れ葉剤が入ったオレンジのしま模様があるドラム缶も取り扱い、その割れ目から漏れた枯れ葉剤を浴びたという。その後、米軍が枯れ葉剤入りのドラム缶数十本を北谷町内に掘った全長46メートルほどの大きな穴にクレーンを使って埋め、土をかぶせたのを目撃したと話している。 

他国の土は汚しっぱなし。


◇ ◇ ◇

ほな、今日はこれにて。
明日はお休み。

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